遺言書が、ついにデジタル化の時代へ。
法務省の要綱案には、パソコンで作ったデータを法務局に保管できる新しい遺言方式が盛り込まれ、これまでの「手書き」「対面」が当たり前だった仕組みが大きく変わろうとしています。
自筆証書遺言の書き間違い、公正証書遺言の手続きの大変さ…。こうした“遺言のやりにくさ”を解消し、誰もが安心して遺言を残せるようにするのが今回の改正の狙いです。
法務省は、2026年2月8日の衆院選後の国会に民法の改正案を提出する方針とのことです。
この記事では、要綱案のポイントを分かりやすくまとめ、新しい制度が私たちの終活にどんな変化をもたらすのかを解説します。
なぜ今「遺言制度の見直し」が必要なのか
日本の遺言制度は、長い間「紙と対面」を前提に設計されてきました。
しかし、社会のデジタル化が進む中で、現行制度とのギャップが徐々に目立つようになっています。
高齢化・単身世帯の増加
高齢者の単身世帯は年々増え、身近に相談相手がいない方も珍しくありません。
その結果、遺言の必要性を感じていても、
「面倒だから後回し」
「書き方が分からない」
「公証役場に行くのが負担」
といった理由で作成に踏み出せない方が少なくないと思われます。
デジタル社会とのギャップ
行政手続のオンライン化が進み、公正証書についても、2025年10月1日から作成手続きのデジタル化が始まっています。
しかし、公正証書遺言の作成手続きをオンライン化するのは、「遺言」という行為の特殊性ゆえに難しいと言われています。
リモートでは「画面の外に誰かがいる可能性」「強要・誘導の有無」「判断能力の微妙な変化」を完全に排除することが難しく、遺言の真正性を確保するには慎重な対応が求められるためです。
紛失・形式不備・偽造リスクなど、現行制度の限界
自筆証書遺言は、
- 書き間違えたら書き直し
- 押印忘れで無効
- 自宅保管だと紛失・改ざんのリスク
といった問題がつきまといます。
法務局の自筆証書遺言保管制度が導入されたとはいえ、「手書きであること」が前提である以上、形式不備や内容の不明確さといったリスクは完全には解消されません。
これまでの遺言方式とその課題
現行の遺言制度でよく利用されているのは、「自筆証書遺言」と「公正証書遺言」の2つです。
どちらにもメリットはありますが、制度が長く変わらなかったため、現代の生活スタイルとの間にズレが生じています。
自筆証書遺言:手軽だが、リスクが多い方式
自筆証書遺言は、費用をかけずに自宅で作れる点が魅力です。
しかし、その“手軽さ”がそのままリスクにもつながっています。
形式不備で無効になるケースが多い
- 日付の書き忘れ
- 押印の欠落
- 追記・訂正の方法が不適切
- 署名が不完全
こうした小さなミスで、遺言全体が無効と判断されることもあります。
紛失・改ざんリスク
自宅保管の場合、
- 家族が見つけられない
- 誰かが隠してしまう
- 改ざんされる
といったトラブルが起こり得ます。
ただし、法務局の「自筆証書遺言保管制度」を利用すれば、紛失や改ざんのリスクは大幅に軽減できます。
長文・複雑な内容には不向き
財産が複数ある場合や、相続人間の調整が必要な場合、自筆で正確に書くのは負担が大きく、誤解を生む表現になりやすいため、内容の正確性を保つには専門的な知識が求められる場面もあります。
公正証書遺言:安全性は高いが、手続きの負担が大きい方式
公正証書遺言は、公証人が内容を確認しながら作成するため、最も確実でトラブルが少ない方式とされています。
しかし、その分、利用のハードルが高いのも事実です。
公証役場に行く必要がある
高齢者や地方在住者にとって、「公証役場まで行く」という行為自体が大きな負担になります。
証人2名が必要
証人を頼める人がいない、家族に頼みにくい、といった理由で作成を断念するケースもあります。
費用がかかる
財産額に応じて手数料が増えるため、「費用面で躊躇する」という声も少なくありません。
要綱案の概要
法務省の要綱案では、現行制度の課題を踏まえ、遺言制度に大きな見直しを加える方向性が示されています。
その中心となるのは、デジタル技術を活用した新たな遺言方式の創設です。
デジタル技術を活用した新たな遺言の方式の創設
要綱案の最大のポイントは、電磁的記録(デジタルデータ)による遺言を認める新方式を設けることです。
デジタルデータで作成した遺言を法務局に保管
- パソコン等で作成した遺言データを、遺言書としての「証書」として扱う。
- 遺言者は、法務局の遺言書保管官に対し、保管申請を行う必要がある。
- 保管されて初めて効力が生じる(=自宅保存のデジタル遺言は無効)。
署名に代わる措置を法務省令で規定
- デジタルデータの場合、従来の「自書による署名」に代わる措置を講じることが求められる。
- 具体的な方法は法務省令で定められる予定。
遺言者による「口述」が必須
遺言書保管官の前で、遺言者が
- 遺言の全文
- 氏名(遺言者の口述を録音などにより記録する方式の場合)
を口述して確認することが要件となります。
これは、
- 本人の意思確認
- なりすまし防止
- 強要・誘導の排除
といった観点から、真正性を確保するための重要な仕組みです。
保管申請手続のオンライン化
要綱案では、保管証書遺言の保管申請について、オンラインによる申請を可能とすることが検討されています。
- 遺言者は、法務省令で定める方法により、「保管証書」「申請情報」「添付情報」を遺言書保管官に提供する。
- 本人確認の方法やオンライン面談の具体的運用は省令で規定される見込み。
押印要件の見直し
要綱案では、自筆証書遺言の押印要件を廃止する方向性が示されています。
- 押印の種類(実印・認印)を巡る混乱や、押印の有無による形式不備を解消する。
死亡危急時遺言の見直し
録音・録画による作成を可能に
- スマートフォン等で録音・録画したデータを用いて作成可能にする方向。
- 証人1名で足りる仕組みを検討。
災害・遭難時にも対応
- 大規模災害や遭難時など、従来の方式が困難な場面でも遺言を残せるようにする。
デジタル技術を活用した新しい遺言書がもたらすメリット
デジタル技術を活用した新しい遺言方式は、従来の「自筆証書遺言」と「公正証書遺言」にあった手続き上の負担や不便さを解消するものです。
ここでは、要綱案から読み取れる主なメリットを整理します。
形式不備のリスクが大幅に減る
自筆証書遺言では、
- 日付の書き忘れ
- 押印の欠落
- 訂正方法の誤り
といった形式不備が原因で無効になるケースが少なくありません。
デジタル技術を活用した新しい遺言書では、
- 手書きが不要
- 押印要件も廃止
そのため、形式不備による無効リスクが大幅に軽減されます。
紛失・改ざんの心配がなくなる
デジタル技術を活用した新しい遺言書は、法務局で保管されて初めて効力を持ちます。
そのため、
- 自宅で紛失する
- 誰かに隠される
- 改ざんされる
といったリスクが大幅に減ります。
「確実に保管される安心感」が大きなメリットになります。
公正証書遺言よりも手続きの負担が軽い
公正証書遺言は安全性が高い一方で、
- 公証役場に行く必要がある
- 証人2名が必要
- 費用がかかる
といった負担がありました。
デジタル技術を活用した新たな遺言方式の遺言書では、
- オンライン申請が可能
- 証人が不要(遺言者の口述を録音などにより記録する方式の場合を除く)
- 公正証書より費用負担が軽くなる可能性
といった点で、利用のハードルが下がることが期待されます。
緊急時にも遺言を残しやすくなる
死亡危急時遺言の見直しにより、
- スマホで録音・録画
- 証人1名で作成可能
といった柔軟な対応が可能になります。
災害や事故など、従来の方式では対応が難しかった場面でも、遺言を残せるようになる点は大きな意義があります。
課題と今後の検討ポイント
デジタル技術を活用した新しい遺言方式には大きな期待が寄せられていますが、制度として定着させるためには、解決すべき課題がいくつかあります。
ここでは、要綱案から読み取れる論点と、今後の検討が必要となるポイントを整理します。
本人確認の厳格化と利便性のバランス
デジタル遺言書では、
- 遺言者の口述
- 遺言書保管官による本人確認
が必須となります。
これは真正性を確保するために不可欠ですが、
- オンライン面談の方法
- 判断能力の確認をどこまで行うか
- 強要・誘導の排除をどう担保するか
といった点は、運用次第で利便性に影響します。
「安全性を高めすぎて使いにくくなる」「利便性を優先しすぎて真正性が揺らぐ」、この両極を避ける制度設計が求められます。
デジタルデータの真正性・セキュリティ
デジタルデータを扱う以上、
- 改ざん防止
- データの保全
- システム障害への備え
といった技術的な課題は避けられません。
特に、
- データの暗号化
- 保管システムの冗長化
- 不正アクセス対策
など、法務局側の運用体制が重要になります。
また、利用者にとっても、「本当に安全なのか」という心理的ハードルをどう下げるかが課題になります。
デジタル弱者への配慮
オンライン申請やデジタルデータの作成は便利ですが、
- 高齢者
- ITに不慣れな方
- 機器を持たない方
にとっては、かえって利用のハードルが高くなる可能性があります。
そのため、
- 対面でのサポート
- 相談窓口の充実
- 代理申請の範囲
など、利用者の多様性に応じた運用が求められます。
法務局の運用体制の整備
新方式の導入により、法務局には
- オンライン申請の受付
- 面談による本人確認
- データの保管・管理
といった新たな業務が発生します。
特に地方の法務局では、
- 人員確保
- システム導入
- 相談対応
など、運用面の負担が増えることが予想されます。
制度が形だけで終わらないためには、現場の運用体制をどこまで整備できるかが大きな鍵になります。
制度の周知と利用者教育
制度が整っても、「そもそも新しい遺言書を知らない」「どう使えばいいのか分からない」という状況では普及しません。
- 行政による広報
- 専門家による情報発信
- 利用者向けガイドの整備
など、周知活動が不可欠です。
特に、「どの方式を選べばよいか」という判断をサポートする情報提供が求められます。
まとめ
デジタル技術を活用した新しい遺言方式は、これまでの遺言制度が抱えてきた手続き上の負担や不便さといった課題を解消し、より多くの人が遺言を残しやすくなることを目指した大きな制度改革です。
制度の詳細は今後、省令や運用指針で具体化されていきます。
私たち専門家も、利用者の不安を取り除き、安心して制度を活用できるよう支援していくことが求められます。
遺言は、財産のためだけではなく、大切な人への“最後のメッセージ”でもあります。
新しい制度が、その思いをより確実に届けるための手段として広く活用されることを期待したいところです。
